すごく久し振りにブログを更新してみる。思えば2018年は名古屋から東京に戻ってきて、久しぶりにいわゆる「本社生活」というか、「時代の空気感」みたいなものをひしひしと感じる1年だった。あっという間に終わってしまって、気付けば2019年を迎えてはや2週間という感じ。
去年は自分の中で色々変化が多かった。というか、キライだった事に興味を持ち、反対にスキだった事に興味が無くなってきた。
①英語話せるっていいなあ
11月に遅めの夏休みを取ってアメリカへ。Washington->NewYork->Boston->Chicagoと4都市を巡った。一人旅アメリカは3回目なんだけど、今までは毎回「早く日本に帰りたい」だったのが、今回ははじめて「日本に帰りたくない」と思うようになった。なんでだろう?と考えたけど、たぶん、変化を求めてるのが大きいのかな。会社の同期が紹介してくれて、ニューヨークに住んでる日本人夫婦に会ったんだけど、すごく楽しそうで、楽しそうで。今から僕が例えばニューヨークに移住するというのは勿論無理だけど、視野を広げるのに英語というのは有効なんだなあと痛感した。
②閉塞感
社会人になってもうすぐ10年。仕事は楽しいしなんの不満もないけれど、一方でちょっとずつ閉塞感も感じるようになってきた。働き方改革の波は例外なく弊社にも押し寄せていて、「効率」やら「時短」やらを求められている。いやあそりゃ大切なんだけど、でも、なんというか、これでいいのかなあというモヤモヤとの闘い。誰の為の何のための働き方改革なんだろうなあ。多様な働き方・考え方を尊重すべきだとすれば、僕のような「ガムシャラに働いてる方が幸せ」という考えも本当は受容して欲しいものである。
③デジタルマウンティング
最近のマーケティングの主流は「AI」やら「デジタル」やら「PDCA」やらで、まあその波に逆らう事は出来ないけれど、行き過ぎてるというか、なんというか、0か1かで物事判断つけよう的な仕事が増えているし、そういう仕事を分かりやすくしてる人が偉いみたいな風潮に、なんだかなあ。デジタルは目的ではなくて手段なのに、そこを勘違いしてる人が多くて、どんどんと変な方向に行ってる気がする。「デジタルが出来る」ではなく「デジタルが生活環境の中に占める比率をちゃんと判断して、マーケティングに生かす」事が大切なのに、自称デジタル出来る人のマウンティングがすごくて、見てて切なくなる。デジタルを目的にする仕事をしようと思って今の職業を選んでいないのになあ。変な横文字使って専門用語並べて分かってるフリしてるのは見てて痛々しい。
そんなわけで、元々のモヤモヤというかイライラと、アメリカに行って気付いた、「去年までは早く日本にある自分の周りのもろもろの環境の支配下に戻りたい」という感情が薄れているのと、で、まあ環境変えるという選択肢も視野に入れないといけないのかなあ、なんてことを年末年始に思った。仕事のやり方を変えるのか、部署とかミッションを変えるのか、はたまた会社を飛び出すべきなのか。
なので今年は、高校生みたいな目標だけど、
1.英語の勉強を頑張る
2.「目的デジタル」クラスターと自分なりに戦う
3.で、結局自分は何が出来るのかを冷静に分析する
という事を意識して頑張っていきたいと思います。
しかし、なんなんだろうなあ、デジタルマーケティングに抱えるモヤモヤは。たまたま代アニのホームページ見てたら、その後「声優募集中」のバナーにクソほど追っかけられるとか、アプリ登録したら「あなたの近くのお店は~」みたいなプッシュ通知がクソほど来るとか、Amazonで趣味全開の恥ずかしいサジェストされるとか、とかとか、そういう類の広告とかマーケティングって、幸せなのかなあ。「効率が上がる」観点もあるが、「ヘイト」も生んでる行動なのになあ。たくさんデータ集めても、ちゃんと分析してる事例がどれだけあるのか。そもそもけっこうなコストをかけて導入して、役立つ場合もたくさんあるが、役立たない場合もたくさんあるのにね。まあそんなデジマを原理主義者のように信奉する宗派には入信出来なさそうなので、あくまでも「何があるとワクワクするのか」をマーケティングとして大切にしたいなと思う今日この頃です。人はオプティマイズよりサプライズの方が求めているとまだ信じていたい。