リモートワークを4か月やってみた

会社にもともと在宅勤務の制度があったのだけれど、一切興味がないどころかむしろアンチ派だったのですが、いわゆる新型コロナの影響で強制的にリモートワーク生活に突入しました。良い点も悪い点も両方あるけれど、備忘録の意味もかねて感想を書いてみようかなあと。

1.打ち合わせの目的が自分の中で明確になった
対面での打ち合わせは、席に座って、自分が話すときだろうが話さないときだろうが他人の話ちゃんと聞かないといけないし、まして副業なんてできない。けれど、リモートワークであれば自分が興味がないと思った瞬間に副業がはかどる。あと、基本喋れるのは同時に1人だし、話を途中で差し込むタイミングが難しいから、関係ない打ち合わせの時は本当に空気になる。それを意図的に活用したりしながら、自分の中で「発言する打ち合わせ」と「空気に徹する打ち合わせ」を明確にするようになった。空気に徹してるとそのうち呼ばれなくなるけど、まあそういう形で必要な打ち合わせ・必要な人の優先順位がつけられるのが良いのかなと。

2.孤独に耐えられる人からすると最高の環境
そりゃ通勤しなくていいのは楽だし、好きな時にごはん食べられるし音楽聞きながら煙草吸いながら仕事できるし、人の目がそんなにないのは楽。雑談とかしづらい欠点などはあるけど、もともと孤独な人はそんなに気にならないかも。そういえば会社行ってる時も基本ランチ一人だしそんなに周りと話さなかったし、友達とか知り合いとか全然いなかったんだなあと痛感した。

3.自宅環境の重要性
一方で、リモートしやすい人しづらい人は分かれる。家族持ちは絶対つらい。僕のような独り身は別に気にしないけど。でも最初のころは何となく仕事と家庭を分断していた人も、例えば打ち合わせしながら子供をあやしたりしている人がいたりして、だんだん境界線がなくなってきてる感じが良いと思う。あ、この人子供小さいんだな→夜連絡するのは控えようかな、みたいな思いやりの社会が出来上がると生産性も上がるような気がする。ちなみに我が家はマンションのネット遅すぎてテレカンが成立しなかったので、別に回線を引いた。ついでにパソコンも買い替えてダブルモニター体制にした。おかげで超快適。

4.業務分散の最適化ができない
リモートでの個人的な問題点。忙しい人そうではない人が見えづらい。出社してると、全体的に繁忙期とか、あの人忙しいとかわかりやすいけど、今は全然分からない。故に、みんながみんな「自分が一番忙しい」と思い込むジレンマが発生していそう。そういう意味では「話さないけど発生しているコミュニケーション」というものは非常に重要なんだなあと痛感した。

個人的には、リモートワークでも別に不自由していない。そもそも引きこもり気質だったし、ステイホーム期間中は基本ネットスーパーとAmazonで用を済ませ、ひたすら自炊し、ネットスーパーで買えないものをコンビニ週1ペースで買いに行く生活を2か月ぐらい続けていたので、まあこのままでいいのかなとも思っている。でも人間の生活って不要不急だらけでできていることを改めて実感したし、何より行きたかったライブが延期になりまくっているのが本当に辛い。あと、僕の場合はリモートワークの方が快適だけど、この環境に慣れるとますます不必要なことを否定し、人とコミュニケーションを取らない、社会性のない人間になってしまいそうな気がするので、リモートワークが解除されたらなるべく会社に行こうかなあとも思う今日この頃です。

オススメの本10冊

・ ノルウェイの森

中二病をこじらせた元凶。
こんな青春がしたいと思って喫茶店に一時期通ったような記憶。
舞台が確か早稲田大学で、当時受験生前後ぐらいだったこともあって早稲田大への憧れを強くした懐かしい記憶。(まあ落ちたんですが)

 

 

 

 

 

・スプートニクの恋人
村上春樹の中でも、ノルウェイとこの作品が好きです。
フィクションなのかノンフィクションなのか、非常にあいまいな境界線の中で進んでいく物語が、
なんだかすごく不思議な読後感に繋がる作品。

 

 

 

 

・最後に咲く花
セカチューで有名の(セカチューしか有名ではない)片山恭一の小説。40手前で離婚した主人公が久し振りに同級生の女と出会って仲良くなったらその女が病気になって・・・という話。恋愛小説だと思って読んだら結構色々考えさせられました。キレイゴトで蓋をしがちな事に結構色々向き合いをさせられる1冊。でも主人公は好きになれない。

 

 

 

 

・さまよう刃
よく日本でも、少年法についての解釈とか、加害者の人権と被害者の人権どちらを尊重するべきか、などという議論が起きますが、色々考えさせられた1冊。最後の結末が個人的にはモヤモヤしますが、いわゆる勧善懲悪で終わらないのが東野圭吾作品の特徴なのかもしれないですね。ガリレオシリーズは一切興味ないんですが、シリーズものじゃない東野圭吾の作品が好きです。

 

 

 

 

・コトラーのマーケティング・コンセプト
マーケティングに興味を持ち、大学に経営学部に進もう→広告会社に入りたいと思うようになった一冊。分かりやすくまとまっていて、いまだによく企画書書いている時に読み返したりしています。コトラー先生はこのころが一番輝いていた気がする。

 

 

 

 

・FACTFULNESS
最近有名ないわずと知れた一冊。この本を読んでからコロナ関連のデータとかで騒いでるマスコミを見るとすごくイライラします。ビッグデータとか大嫌いでしたが、ちょっと勉強してみようと思うようになった一冊。


 

 

 

 

・Amigo
いわずと知れた鈴木あみ 1st写真集。この頃の鈴木あみは本気でかわいかった。毎日学校に持って行って授業中も見ていた甘酸っぱい記憶。

 

 

 

 

・涼宮ハルヒの憂鬱
いわずと知れたラノベの金字塔。当時本気で衝撃を受けました。この頃からラノベ文学が結構勢いを増してきたんですよね。当時ハルヒみたいな子はいないものかと本気で探したのは黒歴史。

 

 

 

 

・経営戦略全史
経営戦略の歴史本って、そういえばなかったな、という本。変遷が分かる本。視座が少し高くなった気がします。お酒とか飲みながら読みたい一冊。

 

 

 

 

・海賊とよばれた男
出光興産店主の出光佐三をモチーフにした小説。
出光担当を5年ぐらいやっていた事もあってバイアスかかってますが、熱意でどんどんと切り開いていく感じが、読んでいてどんどんとワクワクしていきます。日章丸事件は個人的にもっと知名度高くなって欲しい。


波紋波紋と言いますが

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019022700996&g=pol

いつまで「国民の代表」という大義名分で、記者は活動していけるのかなあ、というのを疑問に感じた出来事。

「波紋」って、誰の何に対する波紋なんだろう。官房長官が記者に対する言動が波紋を広げていますよねーという文脈形成って、もう今の時代出来ないのでは。

記者会見は個人の私感を述べる場所でもないと思うし、ましてそういう人ほど都合の良い時だけ「知る権利」とか「ジャーナリズム」とか言ってしまうイメージ。そもそも東京新聞って部数どれくらいだっけ。。。国民の代表と言える影響力持ってるのだろうか。まだニコニコ動画の記者とかの方が影響力高い気が。

記者の方の真実を追求する姿勢や、飽くなき報道への向上心は価値の高いものだと思うからこそ、こういう行動を取る記者は自制を求めるなり追放するなりしないと、記者に対する偏見を増幅させてしまうだけなのでは。記者が世論を作る時代はもうしんどいと思うです。こういう事やってるから、仮に与党が真に問題のある行動を取った時に記事として取り上げたとしても、信用されないから与党的にはラッキーなんだろうけど。

でもたぶん、この情報、数年前だったら官房長官が悪いという論調でひたすら取り上げられてたんだろうな。

「マスメディア」が果たすべき役割を、ちゃんと考えていかないと、自ら寿命を縮めてしまう結果になると改めて感じた記事でした。

2019年

すごく久し振りにブログを更新してみる。思えば2018年は名古屋から東京に戻ってきて、久しぶりにいわゆる「本社生活」というか、「時代の空気感」みたいなものをひしひしと感じる1年だった。あっという間に終わってしまって、気付けば2019年を迎えてはや2週間という感じ。

去年は自分の中で色々変化が多かった。というか、キライだった事に興味を持ち、反対にスキだった事に興味が無くなってきた。

①英語話せるっていいなあ
11月に遅めの夏休みを取ってアメリカへ。Washington->NewYork->Boston->Chicagoと4都市を巡った。一人旅アメリカは3回目なんだけど、今までは毎回「早く日本に帰りたい」だったのが、今回ははじめて「日本に帰りたくない」と思うようになった。なんでだろう?と考えたけど、たぶん、変化を求めてるのが大きいのかな。会社の同期が紹介してくれて、ニューヨークに住んでる日本人夫婦に会ったんだけど、すごく楽しそうで、楽しそうで。今から僕が例えばニューヨークに移住するというのは勿論無理だけど、視野を広げるのに英語というのは有効なんだなあと痛感した。

②閉塞感
社会人になってもうすぐ10年。仕事は楽しいしなんの不満もないけれど、一方でちょっとずつ閉塞感も感じるようになってきた。働き方改革の波は例外なく弊社にも押し寄せていて、「効率」やら「時短」やらを求められている。いやあそりゃ大切なんだけど、でも、なんというか、これでいいのかなあというモヤモヤとの闘い。誰の為の何のための働き方改革なんだろうなあ。多様な働き方・考え方を尊重すべきだとすれば、僕のような「ガムシャラに働いてる方が幸せ」という考えも本当は受容して欲しいものである。

③デジタルマウンティング
最近のマーケティングの主流は「AI」やら「デジタル」やら「PDCA」やらで、まあその波に逆らう事は出来ないけれど、行き過ぎてるというか、なんというか、0か1かで物事判断つけよう的な仕事が増えているし、そういう仕事を分かりやすくしてる人が偉いみたいな風潮に、なんだかなあ。デジタルは目的ではなくて手段なのに、そこを勘違いしてる人が多くて、どんどんと変な方向に行ってる気がする。「デジタルが出来る」ではなく「デジタルが生活環境の中に占める比率をちゃんと判断して、マーケティングに生かす」事が大切なのに、自称デジタル出来る人のマウンティングがすごくて、見てて切なくなる。デジタルを目的にする仕事をしようと思って今の職業を選んでいないのになあ。変な横文字使って専門用語並べて分かってるフリしてるのは見てて痛々しい。

そんなわけで、元々のモヤモヤというかイライラと、アメリカに行って気付いた、「去年までは早く日本にある自分の周りのもろもろの環境の支配下に戻りたい」という感情が薄れているのと、で、まあ環境変えるという選択肢も視野に入れないといけないのかなあ、なんてことを年末年始に思った。仕事のやり方を変えるのか、部署とかミッションを変えるのか、はたまた会社を飛び出すべきなのか。

なので今年は、高校生みたいな目標だけど、
1.英語の勉強を頑張る
2.「目的デジタル」クラスターと自分なりに戦う
3.で、結局自分は何が出来るのかを冷静に分析する
という事を意識して頑張っていきたいと思います。

しかし、なんなんだろうなあ、デジタルマーケティングに抱えるモヤモヤは。たまたま代アニのホームページ見てたら、その後「声優募集中」のバナーにクソほど追っかけられるとか、アプリ登録したら「あなたの近くのお店は~」みたいなプッシュ通知がクソほど来るとか、Amazonで趣味全開の恥ずかしいサジェストされるとか、とかとか、そういう類の広告とかマーケティングって、幸せなのかなあ。「効率が上がる」観点もあるが、「ヘイト」も生んでる行動なのになあ。たくさんデータ集めても、ちゃんと分析してる事例がどれだけあるのか。そもそもけっこうなコストをかけて導入して、役立つ場合もたくさんあるが、役立たない場合もたくさんあるのにね。まあそんなデジマを原理主義者のように信奉する宗派には入信出来なさそうなので、あくまでも「何があるとワクワクするのか」をマーケティングとして大切にしたいなと思う今日この頃です。人はオプティマイズよりサプライズの方が求めているとまだ信じていたい。

中国のイメージも今や昔

https://togetter.com/li/1153467

3月に上海行った時に、東京の方が田舎なんじゃないかと思ったけど、
向こうはだいぶ進んでいるようで。。。

「なんでもやってみる」の姿勢は大切。
日本は実証実験とかできる場が無いのが課題だ、みたいな話がたまに出るけど、
このままだとどんどん差をつけられるんだろうなあ。。。

http://www.machikado-creative.jp/planning/54480/

「どっちの会社が魅力的? (A)自分の生活リズムを設計できる
(B)残業も転職も確実に発生する」

個人的には、Bで揉まれてとっとと実力つけて、自分のやりたいようにする環境を手に入れた方が、のちのちラクだと思うんだけどなあ。
少なくとも自分はそういう環境に身を置けた事を嬉しく思う。
失ったものも確かにあるけれどもw

苦労せずに得られるポジションって、代わりが効くことが多いから
逆に言うと自分のポジションが危うくなるリスクも高いというわけで。。。

気が付けば

気が付けば、innoami.comというドメインを取得して15年。
当時鈴木亜美のファンサイトを立ち上げていて、
サイトの名前がinnocent Amigoだったから、innoami.com。

いまや鈴木亜美も結婚し、
僕も31歳になって、
ずいぶん時がたったなあ。w

久し振りに勉強もかねて、ブログを書いてみた!